【「10 of Cups.(杯の10)」に見る人間の幸せの根本原理】
徒然なるままに、一回目のスタートです。
さて、先日の講座では「貨幣の4」に触れ、当事者が物質的に持てるものを頑として手放さない様子が書かれていることをお伝えしたのですが、その際に、モノを守ることができても、物質的に満たされていても、内面的な喜びや幸福感が約束されている札ではないことなどもお話致しました。その際に、「では、内面的に充実する札とは?」というご質問も上がったのでした。
その時に、教室から側「杯の10」というお答えがあって、ではということで、私自身の申し出により「杯の2」「杯の6」の札をボードに上げさせていただきました。ねえ、並べてちょっと見て下さい。「杯の10」の腕を組み空を見上げる男女、「杯の2」ではまるで婚礼の契りを交わし合うかのような男女、「杯の6」では、大きな子から小さな子へと白百合を一輪飾った杯が手渡されていく光景、なんともまあ見ているだけ、胸の当たりがジンと温かくなるものです。
こと、「杯の10」は、内面的充実を超えて、生きとし生けるものとしての至福が描かれた光景だ。愛し合う夫婦とその横に二人の子ども・・・これこそが、太古から受け継がれてきた「私たちは何のために生きるのか?」命題に対する答えなのかとも、思われる。「遺伝子を残すこと」なんて言うとまた語弊を醸し出すかもしれないが、最愛の人と自分の遺伝子を後生に残してゆけることができて、ああ生きてきて良かった、と胸をなで下ろし安心して余生を送ることができるように、感じられはしないでしょうか。だって、両親がいて、そのまた親がいて、またその親がいて・・・愛の連鎖で、私たちは存在しているのですもの。益々「結婚しない」人口が増加しているそうだが、だがしかし、どうか「結婚」というものを、端的に軽んじて、うとましがらないでいただきたい。小宇宙はそれ自体で単体で、立派に個性的な輝きを発してゆける素晴らしいものですから、結婚しない人生を単体で歩まれることも、決して否定するわけではないのですが、やはり二つの小宇宙と小宇宙とが醸し出す、もうひとつの新たな小宇宙とは、魅力的なものでしょう。これこそが、生きとし生けるものの最大の創造、大作業かと。
また、結婚してもお子さんをもうけない方もおられますが、子どもだけが産物ではありません。他にもたくさん、様々なものがあります。自分という人間にしか生み出せないもの、物質的なものでも、無形の力であるかもしれない、そういうものは多々あるはずです。最愛のパートナーと支え合いながら、どうぞその自ら生み出せる固有の何かを、力一杯生み出して下さい。そのために、家族がいる、愛があるのだと、私は「杯の10」を見るにつけ、「ああ、やっぱり生あることとは素晴らしい、この宇宙に生まれ出たことに感謝!」と思い直すのだ。絵力(エヂカラ)ですね。絵の力とは、素晴らしい!この一枚だけで、これだけ人生哲学を語ってくれるのですから・・
親からもらったこの身体、という表現があるけれど、この「至福の札」が私に伝えてくるのだけれど、「お父さんがいてお母さんがいて、だから自分が生まれた」という幸せを、肯定することが、人が幸せを感じられることの根本原理なのでは、と感じるんですよ。自分がもっとこういう風に生まれていたら、、もっと違うところに、別の人として、生まれていたら、、そんな風に思うのが、フコーの始まり、なんて。どんな親だろうと、まず生んでくれたことへの感謝を。そして、自分自身のどんな身体的な特徴も生まれ持った気質的なことも、全て受け入れ、全肯定しよう! その素質や能力を、短所にするも長所にするも自分次第だから、色々ある度にマイナスにならないようプラスに転換させていくことが、幸せになる第一歩・・・なんじゃないかな、というのがナディアの提唱。まさにそのために、占術というものは存在するのだ。この大宇宙の中で、自分という小宇宙のことを熟知して、どう生かすか?ですよね。占術って、みんながみんなで幸せになるための軌道修正用バロメーターのようなものかもしれないね。 |